2026年3月19日

昼はマイタケとサバのパスタ。サバをブレンダーでガーッとすりつぶすと、旨味の塊のペーストになる。
夜はブロッコリーのオムレツ。ブロッコリーの良さは消し飛んでいるが、お腹には溜まる一皿。クリスマスに買っていたワインの栓を開ける。

ところで寄付は考えすぎないためのことでもあるなと思う(もちろんそれを通じて考えたりアクションをするためのものでもある)。寄付をすることで、その宛て先の人たちが代わりに考えてくれていることになる感じもする。永田町でのデモを伝えるインスタグラムストーリーズを眺める。これはまた寄付の関係とは違う。もう少し、感情の分担のようなものも考える。

Although some may wager that the exercise of rights now takes place quite at the expense of bodies on the street, claiming that Twitter and other virtual technologies have led to a disembodiment of the public sphere, I would disagree in part. We have to think about the importance of media that is “hand held” or cell phones that are “held high,” producing a kind of countersurveillance of military and police action. The media requires those bodies on the street to have an event, even as those bodies on the street require the media to exist in a global arena.

権利の行使が今日では街頭の身体を犠牲にして行われており、Twitterやその他のヴァーチャルテクノロジーが公共圏の非身体化をもたらしたと主張する人もいるかもしれないが、私はその意見には一部で賛同できない。私たちは、「手持ちの」メディア、あるいは「高く掲げられた」携帯電話が、軍や警察の行動に対する一種の対抗監視を生み出す重要性について考えなければならない。メディアは出来事を起こすために街頭のそれらの身体を必要としており、それと同時に、街頭のそれらの身体もグローバルな舞台に存在するためにメディアを必要としているのである。

[J. Butler, Asembly. p.94 手元に翻訳がないので私訳]

いまの日本の場合、これに「ネット疲れ」「リアル志向」が乗っかってくるだろう。

今日はじめてJASCA-NETの存在を知った。