※2025年4月27日にnoteへ投稿したものの再掲載
Vinciane Despret, 2005, Sheep do have opinions. In Bruno Latour & Peter Weibel, Making Things Public: Atmospheres of Democracy. Mit Press.
羊はイラストではもこもこしたかわいらしい姿で描かれるが、動物園なりで実物をみると、なかなかなにを考えているかわからない、ただかれらなりになにか考えているんだろうなと。眼をじっと見つめているとそんな気もしてくる。
霊長類学者生活から引退して、ヨークシャーの片田舎で隠居?生活をしている、テルマ・ローウェルは、毎朝22匹の羊に23個の餌ボウルを配る。なぜ一つ多いのだろうか? “羊だって意見をもっている”というタイトルは、ローウェルの発言からとられたものだ。この奇妙な過剰は、単なる優しさや気まぐれではない。それは、動物、そして科学的知識そのものについての私たちの思い込みを揺さぶる、巧妙な問いかけである。
このエッセイはブリュノ・ラトゥールらがキュレーターを務めた2005年の展覧会「Making Things Public」のカタログに収録されている。動物行動学、科学哲学、STSの領域を横断するヴァンシアーヌ・デプレは、このローウェルの実践を描くことを通して、動物研究における根深い偏見、いわゆる「階層序列のスキャンダル (hierarchical scandal)」 に光を当てる。本稿 “Sheep do have opinions” は、単なる動物観察記ではない。それは、研究者の「丁寧さ・謙虚さ (politeness)」 や対象を「面白くする (making interesting)」 という姿勢がいかに重要か、そして研究実践そのものが、どのようにして動物たちに「意見 」 を表明するチャンス を与えるのかを探るものでもある。ローウェルの不思議な試みに寄り添うデプレの筆致は、羊たちの意外な社会的能力だけでなく、科学知識が生成される現場の複雑さをも描き出す。
デプレはイザベル・ステンゲルスやブリュノ・ラトゥールらとともに、「コスモポリティクス」の議論を形成する主要人物であり、またマルチスピーシーズ民族誌の潮流にも強く影響を与えている。コスモポリティクスの議論の主要な一角は、科学の個別領域の実践のそれぞれの固有性について義務や要請という観点から考察するものである。
「愚かな羊」という神話:「階層序列のスキャンダル」を超えて
なぜ私たちは、サルや類人猿には複雑な社会性や知性を認めながら、羊のような家畜に対しては、主に経済的な価値(肉や毛)や、単純な行動パターン(追従、パニック)でしか語ってこなかったのだろうか? デプレは、ローウェルの言葉を引きながら、これを動物学における「階層序列のスキャンダル」 と呼ぶ。つまり、「私たちは霊長類には多くのチャンスを与えてきたが、他の動物についてはほとんど何も知らない」 のだ。この偏りは、研究の問いの立て方自体に起因するとデプレは指摘する。例えば、観察しやすい「食物をめぐる競争」は過剰に注目される一方で、動物にとってより死活問題であるはずの「捕食されること」は、研究者の存在によって現象そのものが起こりにくくなるため、見過ごされがちだ 。
古典的な動物行動学が食物資源に関連する問題に焦点を当てることは、まさに同じように説明できる。「問題は、動物が食べるのを非常に簡単に見ることができるということです。食物に関するすべての事柄、そして食物をめぐる競争は、それが見るのが最も簡単なものであるため、いささか誇張されてきました。一方、動物にとって実際に重要なのは、自分が食べられるかどうかということです。」(p. 361-2)
さらにデプレは、捕食者の視点から見れば、私たちが「愚かさ」の象徴とみなしてきた羊の群行動こそが、捕食者から身を守るための洗練された協調・結束戦略かもしれないと示唆する 。また、従来の画一的な飼育方法や、オスを早期に淘汰する慣行 、群れの中の序列のみを重視する研究が、羊たちの持つ本来の社会的な能力や関係性を発揮する「チャンス」 を奪ってきた可能性も指摘される。羊は、他の家畜と比べても「効果的に抗議することができない。(…)明らかな抗議をせず、ただ惨めになるだけだ」 という点も、彼らが「意見」を持つ存在として認識されにくかった一因かもしれない。
研究者の美徳:「丁寧さ」と「面白くする」こと
では、どうすれば動物たちの持つ複雑な世界、彼らの「意見」に近づくことができるのだろうか? デプレは、ローウェルやシャーリー・ストラムといった研究者の実践を通して、「丁寧さ」 という認識論的な美徳の重要性を強調する。
霊長類学者のシャーリー・ストラムが言ったように、この丁寧さは、可能な限り、「研究対象の背後で知識を構築する」ことを避けるよう私に強いるのです。ストラムの実践では、彼女がヒヒに投げかける問いは、常に「彼らにとって何が重要か (what counts for them)」に従っています。(p.361)
これは、研究対象に一方的に問いを投げかけるのではなく、対象が応答可能な形、彼らにとって意味のある形で問いを工夫することの重要性を示唆する。(人間同士のコミュニケーションにおいてもきっと普段からしていることだろう)
さらにデプレ(そしてローウェル)が重視するのが、「面白くする (making interesting)」 という考え方だ。研究者は、客観的な観察者として距離を取るのではなく、むしろ積極的に関与し、動物たちがこれまで見せなかった能力や行動を引き出すための「条件」を作り出す存在となる。
興味深い研究とは、何かを面白くする条件に関する研究である。条件に焦点を合わせるとすぐに、「誰が」面白くなるかを知るのかという問いは余計なものになる。興味深いのは、誰かまたは何かを面白くすることができるようにする人(またはもの)なのだ。(p. 363)
これはデプレが別稿「The Body We Care For: Figures of Anthropo-zoo-genesis」で、賢馬ハンスやコンラート・ローレンツをとりあげながら論じている話でもある。
研究者の存在は、常にフィールドに影響を与える 。重要なのは、その影響を不可避なものとして認識し、それを動物たちが新たな能力(例えば、研究者を捕食者に対する同盟者として利用する能力 )を発揮するきっかけへと転換させることなのだ。研究者が「面白くする」ための工夫を凝らすことで、動物たちは私たちを驚かせ、より豊かな物語を紡ぎだす可能性を秘めている。
羊たちの豊かな社会性:「友達」との喧嘩、そして「事前和解」
「階層序列」という単一のレンズを外してローウェルが「丁寧」に観察を続けると、羊たちの社会性は驚くほど豊かで、洗練されたものとして見えてくる。例えば、雌羊の群れでは、序列ではなく最年長の個体が移動の合図を出し、他がそれに従う 。雄羊たちの間にも、単なる順位付けではない、個体間の長期的な親和性や、互いの距離を常に調整するような関係性が観察される 。
特に印象的なのは、雄羊の喧嘩の再解釈だ。角を突き合わせる激しい衝突は、従来、支配をめぐる闘争と単純に解釈されてきた 。しかしローウェルは、喧嘩の最中や、驚くべきことに喧嘩の「前」に、羊たちが互いに頭や頬をこすり合わせる行動を観察し、これを「事前和解 (pre-conciliation)」 と名付けた。
さらに興味深いことに、ローウェルはサルではまだ観察されていないと思われる何かを指摘している:「事前和解 (‘pre-conciliation’)」の操作だ。戦う前に、羊は頭と頬をこすり合わせる。「まるで、発情期の間、友情を保つのが非常に大変であるかのようです。彼らは発情期には友達ではありませんが、グループをまとめることが非常に重要であり、『君と戦わなければならないけれど、君を嫌いなわけじゃないんだ』と示す方法であるという印象を受けました。」(p. 367)
これは、喧嘩が単なる敵対的行為ではなく、既存の関係性を確認し、維持するための複雑な社会的実践であることを示唆している。「友達とは、そうでない羊とのようには戦わない」 のだ。さらに、若い雄が大きな雄に角突きを「提案」する行動 や、雌たちが角のぶつかる音に関心を示すこと などから、デプレは、これらの喧嘩が群れの結束を高めるための音響的・視覚的ディスプレイとしての側面も持つのではないかと考察する 。ここには、ホルモンや序列に突き動かされるだけの存在ではなく、競争と協調の中で複数の問題を解決しようと身体を協応させる、創造的な羊の姿が浮かび上がる 。
23番目のボウル:可能性を拓く装置
ここで、冒頭の23番目のボウル に戻ろう。この一見些細な「余分な一つ」は、単に羊たちの間の無用な競争を避けるためだけではない。それは、羊たちに「競争するか否か」の選択肢を与え 、彼らの行動からより豊かな仮説を引き出すための、巧妙な実験装置なのだ。もしボウルが余っている状況でも羊が隣の個体を追い払うなら、その行動は単なる食料不足による競争では説明できない 。それは、地位の交渉や自己顕示といった、より複雑な社会的動機を示唆するかもしれない 。
その考えは、食物供給をめぐる競争に入るのを防ぐことではない。それは彼らにそうする選択肢を残すことであり、競争が制約への唯一の可能な応答ではなく、むしろ提案への応答における選択であることを保証することなのだ。(p. 368)
この装置は、羊たちが、霊長類や、ハインリッヒのカラス 、ザハヴィのヤブチメドリ のように、複雑な社会的知性を持つ可能性を私たちに示す。「可能性を拓く」とは、まさにこのことだろう。研究者の「寛大な知性」が生み出したこのシンプルな工夫は、羊たちの潜在能力を引き出し、私たち自身の動物観をも変容させる力を持つ。
他者と丁寧に関係を結ぶために
デプレのこの論文は、科学的知識がいかに研究者の問いの立て方、観察の仕方、そして研究対象との関係性の持ち方によって構築され、変容していくかを改めて教えてくれる。
「羊も意見を持つ」 というタイトルは、単なる比喩ではない。それは、動物の内なる世界に敬意を払い、それを引き出すための「丁寧さ」と創造的な工夫を怠らないという、研究者のあるべき倫理的な姿勢を象徴している。
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デプレについて日本語で読むことができる機会はその重要性に比していまだ少ない。 限られた出会いの場のひとつとして、鵜飼哲編著『動物のまなざしのもとで』(勁草書房)で、「わたしたちのナラティヴをテリトリーから放つ、鳥たちとともに[ヴァンシアーヌ・デプレ/森元庸介 訳]」およびヴァンシアーヌ・デプレとの対話[聞き手:フランソワ・ビゼ/森元庸介 訳]」を読むことができる。

